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まなみ鍼灸院
院長のくみこです。
今年の夏は変な気候ですね。
気温は高くなくても湿度の高さにやられますね。
北斎百物語もそろそろ終わりになりますが今週は笑ひはんにゃでした。
色々な昔話があるなかモデルとなった話の本筋は幼児を喰らう鬼女、ということです。
絵の中の鬼女は子供の首を自慢気に持ってニヤニヤしてます。
鬼女のドヤ顔と子供の達観したかのような穏やかな顔が対照的です。
今年、岩手県にある北上市が運営している鬼の館という行った際、世界中の鬼と呼ばれる仮面を見ました。
般若の面も鬼として扱われていますが世界の鬼の仮面はカラフルだったりグロテスクな感じも受けながらも、どのお面もなんとなく笑っているように見える気もしました。
鬼の館に身を置いているうち、自分の中にある黒いものがせりあがってくる感覚を覚えました。
気分の悪さを覚え、帰りの新幹線で泣き出す始末。
日本に限らず鬼や悪魔と呼ばれる存在を偶像として残し、祭りとしてその存在を残してきた人々は一体何をもって鬼としたのか、なんとなく伝わるものを肌で感じた経験でした。
鬼と呼ばれる対象は時には恵を与え時には災害をもたらす自然そのものを指していたり病だったり単純に禍々しいものだったりするらしいのですが、私の中で心の闇、という表現が一番しっくりきました。
満たされなかった悲しみや怒り、憎しみ、嫉妬、恨み、不安、孤独、恐怖、などなど。
過去にあった今となってはどうしようもない自分のなかにある心の闇をどう扱ったらいいのかを考えさせられました。
真っ黒な心の闇はいつまでも引きずっていても良いことが無いのはわかっているので消そうとしたし忘れる努力もしたので普段は思い出すことはほとんどないけれどふとした瞬間や疲れている時などネガティブな気もちになると思い出す、ということを繰り返してきたけれど自分の心の闇を鬼祭りのように時々思いだし、味わい、抱きしめてあげるという方法もあるのではないかと思いました。
心の闇があったから前進できた。
心の闇があったから今の自分がある。
という経験ってないですか?
心の闇を悪者にするのではなく消そうとするのでもなくすべてが必要なことだったと大事なことだったと明るくとらえてあげることが出来るような生き方をしていきたいと思う夏でした。